IN DEEP
「生きている染色体は、生体内 DNA のレーザー放射を用いて、ホログラフ・コンピュータのように機能している」というものだった。
これは、DNA が、レーザー上で特定の周波によって自身のDNAの振動と自身の遺伝子情報を調整し、管理しているという意味のようだ。
この記事を読んでふっと昔からの疑問が吹き出してきた。
「生物は自己DNAを書き換える能力を持っているのではないのか?」
ということである。
学校で習ったのはDNAをコピーする際はRNAに一度コピーして、それを鋳型としてDNAを細作作成する。完全コピーだから元と同じものができる。したがってDNAは更新されない。更新されるとすれば、放射線等によって(傷をつけられるか)エラーが起きる場合である。ただ、この場合、エラーであるからして殆どの場合「障害」となってしまう。
この内容からして、生物の進化はあり得ない話となる。ダーウィンも進化とは淘汰と突然変異の二つだけでくくっている。
「キリンの首が伸びたのも、象の鼻が長いのも突然変異種が淘汰の末で今に至る。」
という結論である。
どうも、昔から納得がいかなかったのだ。突然変異と言っても10000体のコピーがあれば1体ぐらいはエラーになって、それが生き残るかどうかは環境が決める・・・。まるで細菌と同じような扱いである。このように考えていくと、生物というのは本来の生きるという意味が全く残らないのだ。「生命はそのDNAの乗り物であり、それを次世代につなげるためだけに存在している」そんなふうにも聞こえててくる。だからDNAが保管される方法が見つかれば生命さえも必要ない。・・・・まあそれは、極論だが我々はあまりに無力なのか?と思う。
忍者は、毎日竹を乗り越える練習をつむことで最後には2階立ての家ぐらいまでならジャンプできる要になるという・・・訳はないが、毎日同じことを繰り返すとそこが強化されるのは生物の特徴である。おれも最近はほぼ毎日自転車15km弱走るから足の筋肉だけは発達してきている。石川遼も毎日英語を聞いていれば、しゃべれるようになる。同じく、怠けるというのも、マイナス面としての強化だと思う。
その結果が、この世に残せないものなのだろうか?ということになる。「生きた証」というのは「子供の命」として残すことができる。「努力した証」は残すことができないのだろうか?ということである。
久しぶりなので長文となったが、生命はDNAを書き換える能力があると(勝手に)思っている。その作業を行うのが「寝る」という行為ではないのだろうか?寝ている間にDNAから成長に必要な情報を抜き出すが、何かしらDNA情報を超えた体の変化により栄養条件が良くなった、イキイキとしているといった変化があった場合は、その条件をDNAにも残す。そんな機能が生物にはあるのでは?と思う。
キリンの先祖が、高いところにある草を食べようと首を伸ばす
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寝ている時に、首・肩がこる、しかし、その日に限って栄養条件が良いと体が判断
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その繰り返しが体の変化(個体の体格)、脳の記憶に残る。
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一定条件を超えればDNAに書き残す残す
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引き継いだ個体(子孫)が、同じことをするかどうかで、個体の変化を継続するかどうかを決定るする。
こんな感じの流れかな、と思う。昔コンピュータを習ったときはROMとRAMの関係がDNAとRNAの関係として理解できた。ただこの場合、ROMは絶対で書き換えることができないというのも間違った考え方で、一般人には書き換えることはできないけれど、機械と知識を持った人にとっては書き換えはアタリマエということだ。
天才の子供だからといって天才には生まれてこない。偉そうな親の子だからと言って子供も横柄になるというわけでもない。1代2代の世代ではほとんど変化はないはずである。キリンの首も何十という世代の中での変化だと思う。生物が魚-両生類-爬虫類-哺乳類ー---と進化してきたのにはこういった努力があった筈である。そうでなければ種の分化などは必要ないのではないかと強引に考えていた。でもそれもそれほど外れていなかったのではと思う今日この頃なのだ。
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