エレファントマン とパッション 745
久しぶりにレンタルビデオに行って、そして久しぶりにエレファントマンを見ることができた。映画としては1980年公開ということで、おれが中学生ぐらいの時の映画ということになる。当時は気軽に映画を見に行くという環境ではなかったから、もっぱら映画の予告編を日曜日の朝テレビで見て「へぇー、見てみたいなー」と見ていたものである。そして時は流れ、大学生になった時、レンタルレコードに続き、レンタルビデオなんてものもできて、よく通った。その時初めて見たと記憶している。
そして時はまた流れ現在、見たいなぁと思っていた映画が、エレファントマンとネバークライウルフ、どちらもマイナーらしく、レンタルビデオなどで探しても出てこない。
久しぶりに行ったから、ないものだと思ったが、検索端末をチョチョイのちょいと触っているとエレファントマンはでてくるではないか!!。ということでさっそく借りてくる。
映像が始まってから、ずっと目が離せない。
エレファントマンことジョセフメリック。「僕は人間だ!」という叫び、見ていて心が洗われる気がする。見た目についても見ているとなんとなく慣れてくるものである。さすがに目の前に現れたとしたら自分がどう反応するかわからないけれど、全く受け付けられないとは思えない。それよりも、周りの人の心の貧しさのほうが見ていて不快になる。見た目が悪いけど、心の美しいメリック、見た目は普通だが、心の貧しい周りの人間。どちらも同じ人間なのだった。 ここまで、は昨日の話で、今日見終わったのが、「パッション」メル・ギブソンがキリストを描いた映画だ。
予備知識は「メル・ギブソン監督のキリストの映画」ぐらいだったので、その一生を描いていると思っていたが、磔になるまでの12時間を描いてた。気持ちは、十戒とかベン・ハーなどとかぶっていたのだ。
普通の映画の中では、キリストは主人公ではなく、助ける役(つまりは強力な脇役)でしかない。この映画ではただただ、傷つけられ虐げられるのだが、「神よ、彼らを許し給え、彼らは何も知らないのです。」このセリフが、さっき書いたエレファントマンの中でも感じられたのだ。
大学生ぐらいの時に見たエレファントマンと、今見るエレファントマン。ここに大きな違いがあるのだろうと自分ながら感じてしまった。昔の自分なら、「メリックが正で、(一部を除き)周りが悪」とくくっていた。でもそれは悪ではないのかもしれない。「彼らは知らないだけなのです」という気持ちで見れば、哀れな人達なのだ。仏教もキリスト教も同じであり、憎むのではなく憐れむ。「君たちの貯めたカルマは大きい、可哀想に」そんな気分で見てしまう。
まあ、そういう意味では俺も、だいぶ落ち着いたのかなぁという感じ。まったりとした休日である。
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