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2010年5月15日 (土)

朝日新聞 ツマラン 607

今日の朝日新聞を見るといい事だらけの記事に見えてくる。とても体制よりの新聞なのかなぁと感じる。とはいえ俺の仕入れるニュース源もインターネットであるからすべてが真実とも限らない。どっちも信用がおけないという意味では一処であり、世の中何が真実なのか?と思っちゃう。

新聞1面から「韓国船、魚雷で沈没」とあるが、こんなこともあるらしい。どちらが信じられるかといえば田中宇のほうかなぁと思う。朝日新聞には全くのっていないが、全くのデマでここまでは書けないものである。それが事実だとすれば朝日新聞はそれを知らないという適当な情報源しかないか、知ってって書かないかのどちらかである。事実でないとするとなんとなく釈然としない(理論的ではないのだが・・・・)。

12面・13面には国内景気のこと、家電量販・エコ特需、通信3社営業増益、製薬大手6社増収、7社黒字・銀行一服・・・・。なんとなく景気が良い感じである。とはいえ実態景気はいいわけでもないから、記事自体が空々しい。決算の結果なんていくらでもいじることは出来る。良い面だけ見させられているような気分である。

新聞テレビで、景気が悪い、景気が悪いと連呼されれば、よくなる兆しさえも目を摘んでしまうだろう。そういった配慮はあるかもしれないが、どうも現実感と記事の内容が一致しない。つまりは信じられ無くなっている。

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2010年5月13日 (木)

知名度優先?谷亮子氏が出馬  606

なんと!あれま!としかいいようもないところだ。政治を知らないとはいえ、立候補する権利はだれにでもあるわけだから、間違いではない。こんなバカブログでバカ記事を書いているオイラでも立候補する権利はあるのだから谷亮子が立候補することを止めることはできない。立候補すれば即当選というわけでもないのだから、国民の審判を仰げばよろしい。
政治の細かい手綱さばきは難しいかもしれないけれど、二者択一的な問題解決にはこういった女性のほうがいいかもしれない。

ここで恥ずかしいのは、谷亮子に要請した党と、要請しようと考えた党である。両者は同じ党ではあるが、二段階で辱めを受けたことになる。
もうすでに、見限られている訳だが、こんなことで引導を渡されるのは不本意であろう。ただ、どう見ても票を集めるという目的が、反対の結果を生みそうである。選挙は人気投票じゃないぞ。キムタクなら別だけど・・・という人がほとんどであろう。

これまたネバダ
単なる人気取りのために有名人を並べてこれで世界に通用するでしょうか?
政策論争が出来、外国の政治家と堂々と議論出来るでしょうか?

国会議員を『雇う』には年間2500万円以上の給料を中心に秘書手当てや諸々の手当て等を入れれば年間1億円以上かかると言われています。『事業仕分け』する相手は参議院議員であってもおかしくはありません。参議院議員を100人削減するだけで100億円も削減出来るからです。

まったく、そのとおりとしか言いようがない。政治自体に費用対効果がなければ、政治さえもなくてもいいかもしれない。
「有名人でなければならな理由は?」と仕分けして欲しいものだ。

リンク: 知名度優先?谷亮子氏が出馬.

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ギリシャ EU 氷山の一角 605

歴史はまた過ちを犯そうとしている。今現在は過去ナチスドイツが歩んだ道の第一歩である。当時は大不況時に、自分たちドイツ人の仕事を奪うユダヤ人に対する反感が利用されたわけだが、今回はそのお相手がギリシャである。ギリシャを救済するぐらいなら、自分たちの国民を救済せよという意見があるが、それを無視して特大ボーナスをギリシャにあげた訳だ。
ギリシャにはもう返済能力はない。貸した金は帰らないし、返そうとする気もないだろう。貸してくれと頼んだ覚えもないのに、勝手に貸してきたんだからくれたと同じだろう・・・、そんな気持ちだろう。本当ならデフォルトでもしたかったぐらいのはずだ。しかし、EUという一蓮托生の絆を守るために、多大なユーロが勝手に動いたわけだ。

ギリシャ支援+減税という妥協をすればドイツ国債発行残高が急増し格付けが引き下げられることになり、ドイツはギリシャ支援どころの話ではなくなり、ドイ ツ急進派のデモ等が起こりドイツ国内で騒乱が発生すれば、メルケル首相は辞任に追い込まれ、今回の支援策が絵に描いた餅に終わりかねません。

また、EU各国は今でも膨大な財政赤字・国債累積という状況にあり、今後最悪の場合90兆円もの財政負担となればEU加盟各国は財政破綻に直面しかねませ ん。

『他人の庭をきれいにする前に自分の庭を掃除するべきである』、という意見がEU各国で強くなるのは避けられません。特に若者の失業率が20%を超えている国が多い中、他国を援助する金があるのなら自分たち(若者)に回せ、となって当然だからです。

ヨーロッパの嵐は今度は支援を受けるギリシャから支援する側に移動することになります。

助けたのではなく、奪われたとなればEUは空中分解である。ギリシャにしてみれば、頼みもしないのに助けてくれたんだから、次もまたよろしくね・・・。そんな空気だろう。どうせ今回デフォルトするつもりだったんだけどね。援助資金が枯渇したら、またくれるんならもらうし、くれないならそれでもいいし・・・。そんな感じがする。

真面目に働いている人間だけが苦労して、遊んでいる人間が利益を奪っていく。そんな構図は誰だって、気分のいいものではない。この雰囲気(負のエネルギー)を悪用出来る人間がいれば第2のヒットラーになれるわけだ。どうなるかは知らないけれど、いやーな雰囲気の時代に突入して抜け出せ無くなっている。

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2010年5月 9日 (日)

「CDだけじゃなく、音楽配信まで売れなくなった!」 604

痛いニュースより抜粋
昨年はほぼ横ばい。数量ベースだと0.2%減と調査開始以来初の減少に。市場の牽引役
だった「着うた」の売上高は、20年も21年も前年同期比19%減と大幅に減少した。

原因について同協会は「違法サイトからの無料ダウンロード」をあげ、「18年の調査で、
違法ダウンロードの総数は有料配信より1億4500万件も多い年約4億7千万曲だった」
と明かす。一番安い「着うたフル」(1曲約200円)に換算すると約940億円が闇に消えた
計算で、「その後もさらに増えているだろう」。

違法ダウンロードってなんだろうという気がする。俺は合法的に音楽を買うようになったのは、大学生になってからである。それ以前は、音楽を買うという習慣はなかった。大学生以前はラジカセが1台あっただけだから、メディアはラジオかカセットテープぐらいしか活用できなかった。購入しようとしても、パッケージ版のカセットテープしか存在していなかったのだ。だからもっぱらFMのエアチェックがメインであった。

大学生になって初めてミニコンポを買った。そして、初めて自分でLPレコードを買った。初めて買うLPはイーグルスのホテルカルフォルニアだと、以前から決めていた。そしてそれを実現した。先日田舎に帰ったが、当時から今まで、買ったLPが30枚ぐらいまだ置いてあったので聞こうとしたらプレーヤーが壊れていた・・・。

昔のことを思い出せばレンタルレコードから始まって、CDが後で出て・・・・と今のダウンロードに当たるようなこともよくやっていた。FMラジオからの録音(エアチェック)などのアナログコピーであれば合法だろうし、デジタルであっても、再販などを行わなければアナログコピーとほとんど変わらない。当時はこれが主流ではなかっただろうか?

この20年(大学生~現在)、思い起こしても1996年以前の音楽ぐらいしか買ったことがない。俺の中ではそれ以降、新たな音楽はほぼ死んだ状態で有る。聴きたい音楽が新たに発生してこない。

音楽にかける情熱というのもだんだんなくなってきている。今の時間感覚では、LPレコード1枚をじっくり聞こうという情熱がない。オーディオに凝ろうという情熱も無くなった。かといってビデオなどのビジュアルがついていても同じである。確かに、この20年音楽はいっぱい買った。CDだけでも100巻以上は手元にある。でもどんどんその扱いは雑になってきている。もうi-tuneでしか整理していないし、取り出して聞くことも減った。基本は車の運転のタメぐらいにしか使っていないのが現実であり、新たに買いたいとか、手に入れたいと思う曲もだいぶなくなってきた。

業界がなくなれば自分の手元にも届く楽曲は少なくなるだろう。しかし、昔に戻ると考えればそれほど苦でもない。逆に入手困難なぐらいがありがたみがあるかもしれないし、思い入れも強く、真剣に聞けるのかもしれない。

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怪物くんはイイ! 603

こどもといっしょにハマるもの。そんな感じのドラマである。まず設定が良い。主人公は人間でないから、CGによる無理な(不自然な)戦いや設定にも無理はない。そして主人公が子供だから見ている自分たちも一緒に成長できる訳だ。周りの大人(?)達も、成長しながら怪物くんを見守る。感情むき出しのドラマが成立するわけだ。
 似たような設定のドラマに「ごくせん」というのがあった。こっちは生身の人間である。しかし非常に無理のある設定である。仲間由紀恵でなくとも、あんな動きはできるわけがないし、ストーリーを作るために人間が無理な動き、無理な考えを無理してやっていると感じられる。最初からマンガでしか成立していないのだ。
 似たような勧善懲悪モノに、戦隊シリーズとか仮面ライダーがある。こっちもダメである。彼らは、相手を倒すことがビジネスであり、自分たちの存在理由となっている。悪い敵がいなくなれば彼らは誰にも必要されない状態になる。変身する理由はなくなるのだ。怪物くんは変な正義感はない。自分の感情が存在理由である。自分の気持が向かなければ極悪だろうが小悪だろうがほったらかしで、逆に気が向けば戦う。誰かのためではなくて自分の為に存在しているのだ。まずは自分が存在していて、その周りの環境と戦っているのだ。

現代の子供は「良い子」ではなく「良い子を装った怪物くん」なのかなとも思う。能力は未知数なぐらい高いのだが、社会の枠にハメられるから萎縮して、考えと行動が一致せず、現実がつまらないからバーチャルに走る。友達と仲良くしよう!とか宿題をしよう!とか、どうでもいいことを強制されつづけて、従順な大人になっていく。社会という檻に入っていくことを皆に期待され、大部分はナニも考えずに入っていったり、反発しながらも入っていく。入れない人は引籠る。感情よりも理論が先である。感情よりも損得勘定が先である。

怪物くんにはそんなものがない。損得は多少あれど、まず第一に感情が優先される。本能で生きる動物的な存在である。いてはいけない存在なのだろうが、そんなことはどうでもいい、理論的にはおかしいけど、こういう気持ちなのだからこうなのだ!という部分が気持ちイイ。良いドラマだと思うし、面白い。

テレビも社会もこうあるべきなのだと思う。

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