夢をみるのも・・・ 522
珍しく2日続けて夢を見た。それも神様系の何とも言えない幸せな夢だったので、もう1日とチャレンジしたが、結果は寝坊だった。何かしらの夢をみたなぁという記憶だけはあるがもうすでに思い出せない。
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珍しく2日続けて夢を見た。それも神様系の何とも言えない幸せな夢だったので、もう1日とチャレンジしたが、結果は寝坊だった。何かしらの夢をみたなぁという記憶だけはあるがもうすでに思い出せない。
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布団の暖かさが身に染みる季節。また神様系の夢を見た(気がする)。今日もぼんやりとしか憶えていないのだが、神様のいい匂いを感じていた夢である。神様の歩いた跡はナメクジの軌跡のイメージ(?)でいい匂いゾーンが残っているわけだ。
ニオイというのも不思議なもので、音に例えれば和音みたいなものがあるのだろうかなとも思う。高い音・低い音・強い音・弱い音そんな違いがあるに違いない。また味のように甘い・辛い・痛いなど舌の味蕾みたいなものがあって感じるものなのかなぁとも思う。
昔見たテレビで警察犬が犯人を追うときは、犯人の匂いが歩いた経路そのままについているというのを見てすごく印象に残っていた。俺のイメージでは匂いなんて風で飛んでいくもの、一瞬感じられるが、すぐに消え去るものという考えだったが、これで覆されたわけだ。それこそナメクジの跡のように、きれいに例えれば、雪に残った足跡のように一個一個残っているということだ。
おれなんかはタバコも吸うし、オヤジ臭がするらしいから、いい匂いなんて発散できないが、いろいろなところに俺の加齢臭の足跡が残っているわけだ。
神様に戻って、神様が歩いたあとには花が咲き乱れるイメージがある。立つ鳥跡を濁さずではないが、俺の歩いた跡も花が咲き乱れていればとてもうれしい。それも、実際問題としてできないことではない。一歩一歩の足跡に花がさくのは無理としても、花の種を撒きながら移動を続ければ自分の歩いたあとには花だらけに成っているわけだ。俺のオヤジも田舎で菜の花の種を撒きながら家に帰っていたらしい。おかげで、実家の近くの心臓破りの坂には春には菜の花だらけ(一回撒いたら根付いたらしい)になる。自分の父親ながら敬服してしまう。それこそ神である。たったひとりの行動が世の中を変える(ほどでもないが)、それが二人になればもっと変わって、それを伝えることでもっと広がって・・・・となればそれだけで素晴らしい世の中になるわけだ。多分世の中の人の0.0000000001%ぐらいの人の意識が変わるだけで世の中お花だらけになったり、ゴミが殆ど落ちていないようになったり、犯罪が減ったり、貧困が減ったりするのだろう。今のところ大した行動はしていないが、おやじの意志は引き継ぎたいなぁと思ったりしていた1日であった。ナムー。
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今朝の夢は、気持ちよかった。内容はよく憶えていないのだが「神様と繋がった」という言葉とともに目が覚めた(気がする)。実際は二度寝して、次の夢をみた(が内容を覚えていない)のでホントにそうだったか自信がないが、この言葉が一日耳に残った。
神様がいるとかいないとか関係なしに、やっぱりこの世は素晴らしいものである。朝日に照らされた裏山や、どこまでも続く海、雄大な富士山、今日一日「神様と繋がった」という言葉を噛み締めながら運転(200kmぐらいは走ったか?)していたが幸せな気分であった。挨拶回りをしていたのだが、不景気とはいえ皆元気でありこれまた素晴らしい。このブログもかみさんが邪魔をして書きにくいのだが、やっと寝てくれて嬉しい。”What A Wonderful World”そんな気分になってくる。
この世に神様がいるとしたら、多分我々とはオーダーの違う世界にいるのだろうと思う。例えば俺自身が神様だったら、この銀河系は俺自身のどこかの細胞の一つぐらいのものだろうと思う。そうであれば俺自身は電子の1つ分ぐらいの存在かもしれない。神様も自分の健康には気遣うだろうから、ほんのちょっとした体の不調も各細胞が弱ることから始まるわけだから、少しぐらいは気にかけてくれるのかもしれない。そう考えると俺も、俺の体の中の1個1個の細胞からすれば神様であり、細胞レベルの喜びを求めて生きているのかとも感じる。細胞が元気なら神様も元気になるし、傷つけば、神様も傷ついて弱っていく。案外こういった関係なのかなぁとも思う。サムシンググレートとつながっている人生ってのもイイかもしれない。
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磐田ICから車で5分ということで、渋滞とわかっているのに、行ってきた。下りを走っていると早速、上り線は車の駐車場状態か?というような渋滞、下りはどんどん流れるがこのまま、流れに乗っていていいのか?と悩みながら磐田まで走る。磐田icにつくと、ここから7分なんて看板があり、「オイオイ過大広告だったか?」と思いながら、臨時駐車場に到着。
怪現象は、現地で、ちょっと写真でもと思い、デジカメを構える。するとその画面表示が恐ろしいことに・・・・。鳥居周辺を画面で見ると真っ赤なフイルターがかかったような画像が表示されている。「エエッ!なにこれ」ととりあえず分からないまま、シャッターを切ってしまった。「心霊写真か?それとも祟?」。不思議なことに鳥居や建物から画像をずらすと普通に映るのだが、鳥居周辺に向けた時だけ、デジカメの画像が全体的に赤くなる。かみさんに見せると「写真を取るなということじゃない?」ということで、デジカメはしまったが・・。「とりあえず悪霊がいる場所ではないから大丈夫か?」と勝手に解釈してお参りした。ここはなんとなくであるが、パワースポット的な霊験あらたかないい感じであった。釣りの神様もいらっしゃるとのことで隈なくお参りさせていただいた。
帰りは20kmの渋滞を約30m分伸ばしながらゆっくり帰った。撮った画像を見るとなんのことはない普通の写真である↓なんだったんだろうか?画像処理とかちょっとやってみたがそれらしい痕跡もなかった。
↑こんな感じで、確認画面だけは真赤に染まっていた。
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謹賀新年である。賀正である。オメデタイである。
一昔前の若かりし頃から、正月とか、クリスマスとかそういった節目について、何が楽しくて、何が目出度いのかと、心の奥底ではめでたくネーヨ!と思っていたりしたものだった。
最近は、お正月は「無事1年間命が続いた」「今年も年が越せた」という気持ちも、年を追うごとに感じてきだしたりするものだ。気がつけば、もう40代半ば、気持ちの上では大学生時代からあまり成長していない自分もいるのだが、それでも気がつけば、妻を持ち・子供もかなり大きくなり、社会的な責任も(ホントは)ある世代となってきている。年を取ってきたなぁというのはやはり感じてしまう。
お正月2日目にして、正月モード真っ只中である。今日はかみさんと「福袋探索ツアー」にいっていた。福袋は正直ほぼ初体験である。なにせ、毎年、片田舎に帰省しているので福袋には今まで縁がなかったのだ。かみさんも「福袋萌え萌えモード」になっていてそれを消火する術もなく、オイラもちょっと興味アリモードでツアー参加である。まずは伊勢丹からと向かってみると人の大群・・・。駐車場すらないではないか・・・。この時点でオイラの心はしぼんでしまった。「あーあ、馬鹿みたい」。かみさんも伊勢丹では何を買っていいのかわからず、当地を後にする。次はCASAとかいう雑貨屋。ここでとりあえず5000円分の大袋を買う。重い・・・。後で開けてみると鏡やら意味不明の額縁やら重量物を放り込まれていた。今日一番の満足感はこの袋の重さだったかもしれない。次に子供服ということで、二件ばかり行ってもう一袋GETする。おいらもちょっとアプライドの福袋が気になって寄ってみたが、中身を先に見せられて夢敗れた。
福袋の感想は「得したような・・・損したような・・・・。とりあえず暇潰しにはなったか?」そんな感じであった。
アプライドに寄って、AKR?とかいうブランドのTVを見る。多分外国製なのだろうが、B旧ブランドでも結構綺麗なもんだなぁという感じで、また地デジ魂に火がついてしまった。かみさんとああでもないこうでもない。買おう・いやヤメようと論争したが、結局、上の子が公立にうかったら即買い、落ちたら壊れるまで耐える。ということで3月までお預けとなった。なんとまあ、平和な1日だったことか・・・。
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