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2010年2月 1日 (月)

儀式と呪文 538

儀式や呪文と書くと大げさかもしれないが、世の中が便利になればなるほど儀式というものと縁遠くなっていく。それは、生活のリズムや心のあり方も変えていっているのだろうなぁと思う。儀式と言ってもたいしたことではない。例えば一昔前の音楽鑑賞ならレコードである。まずジャケットを探す、レコードを汚さないように壊さないように取り出す。ターンテーブルに載せる、針を落とす。最後まで聞く。針を戻す。レコードを裏返すかしまう。全てが今ではありえない儀式である。今ならこれがボタン二つぐらいですべてが終わる。それもリモコンで・・・。電源ボタン+再生ボタン、ほっておけば電源も切れる。新旧どちらがいいかは一長一短である。レコードは面倒くさいが、それはそれで楽しめる。思い起こせば、アンプを温めるためにしばらく電気を入れっぱなしにするとか、なんかいろいろな世界があったのを思い出す。少しでもいい音を聞くためにいろいろ努力していてと思うし、数百万~数万円のオーディオ機器を夢見て過ごしていたものだ。スピーカーはタンノイがいいなぁとか、アンプは真空管だよなとか、聞く耳持たずして、ただただ凝ることに熱中していたと思う。全く興味のない人にとっては摩訶不思議な儀式であり、タンノイとか真空管とかヒスノイズとかは呪文である。
今時のオーディオはipodに代表されるデジタルオーディオである。ここに儀式は少ない。電源オンと選曲と再生ですべては終わる。凝るのであればヘッドホンとかdocスピーカーとかオーディオレートなどもできるのだろうが、それほど奥が深いとは思えない。そのかわり手軽である。

んで今日思ったのは、「趣味として生き残るには儀式と呪文が必要なのかなぁ」ということだった。音楽鑑賞なんて趣味としてはいまどき死語かもしれない。鑑賞ではなく、何かのついでに聞くという感じだ。おれも、好きなアルバムであっても1枚を最初から最後まで聞く気力がない。今の家にはすごいオーディオがあるわけでもない。MD/CDラジカセ(カセットもあるのでラジカセでOK)があるが、頭出しなんてできると、次・次・別と気に入った曲ぐらいしか聞かなくなる。中途半端は飛ばされてしまう。レコードの時はこうはなかなかいかない。カセットであっても頭出しは結構面倒だった。学生時代はカセットテープだけで数百本持っていて、それぞれに別のアルバムが入っていてよく聞いていたのだが、今にして思えば贅沢な時間を過ごしていたものである。

儀式と呪文、面倒くさいことなのだが、それを行うことでその世界に入っていける。他の世界と切り離して、自分だけの世界に入っていく。勿体無い時間を費やしてまでも行うその行為があるから、没入している時間の価値が上がる。逆に簡単になるほど没入する時間の価値が下がるような気もする。

最近そんな儀式はとんとないのだが、探してみると、パソコンの起動というのもちょっと儀式っぽいかなぁ(電源を入れ、起動OSを選び、ユーザーパスワードを入れる)。カッコの中のちょっとしたことだけど、それだけでもリモコンポンではない。テレビほどの気軽さはそこにはない。ポポポンポン、パピプペポン(古っ)ではないところが、儀式と呪文であり、素人がすぐに入りきれない(というわけでもないが)少しだけ残っているのかなと思ったりもした。しかし、残念なことにその儀式と呪文の結果はエロ画像でしかなかったりする。

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