「4人の死刑執行」に揺れる国民
タイトルはココログニュースより
死刑制度は良いか悪いか良く分からないが、基本的には反対である。なぜ日本には終身刑がないのだろうか?無期懲役ではなく、無期限懲役があれば、死刑までしなくとも良い犯罪者はいるだろうし、『「死に切れないから」死刑になるような犯罪を犯す犯罪者』に対する抑止力になる。今や死刑は、究極の現実逃避の方法であり、それにすがる馬鹿が増加していくのであろう。
カルマの法則から考えれば、死刑に相当する犯罪者は捕まらなくとも、日々後悔または恐怖(捕まる・見つかる・恨まれる・・)を感じているはずだ。その感覚が消えうせたような悪質な犯罪者は、次の世でとんでもない姿でカルマを背負って生まれてくる。わざわざ、今世の苦しみを短縮してあげなくとも、十分苦しませて反省させるべきだ。
被害者とその家族の心情を考えると、死刑にして欲しいという願いは理解できる。大事な家族を切り刻むような相手は許せない。その気持ちは俺にもあるし、当事者なら死刑を望む気持ちも理解できる。でも、その当事者に、『あなたが死刑を執行してください』と言われたらやるだろうか?磔になった犯人と向き合ったときに、誰もがその胸に刃をさせるだろうか?誰かにやってもらえるから簡単に「死刑だ、死刑にしろ!」といえるけど、自分がやるとなると意見が変わるのではないのか?俺ならやっちゃうかも知れないが、その後、すごく後悔するのだろうな。やってもやらなくても後悔するのだろうな。
例えば、人類が死滅して、この世に2人だけになったとする。死刑囚と被害者の家族、その2人だ。そうなったときでも相手を殺すだろうか?死刑囚を殺したら、その人は最後の1人になる。話をする相手もいない。自分が困ったときに助けてくれる人もいない。文句を言う相手も、恨む相手もいないのだ。それでも相手がいなくなることを望むだろうか?こうゆう場合ならやる、こうゆう場合ならやらないというのは殺される人間に失礼である。「死刑執行」は周りの環境によってやるやらないを決めていいものではない。
死刑だ!死刑だ!と叫ぶ人々は、自分の、世間のフラストレーションのはけ口に言ってしまうことも多い。過去の時代の「魔女狩り」と同じにも見える。景気が悪くなり、周りがギスギスし、フラストレーションがたまりやすい時代になってきている。政治的にもそのはけ口を戦争やら、死刑やらでガス抜きとして利用したいだろう。
経験上、今まで、すごく嫌いだった人であっても、別れてみると寂しいものである。いやだ、いやだと思っても、いないよりはいいというのもある。憎しみを吐き出すにも、相手がいるのだろう。相手が死者になったら、その憎しみを吐き出す相手がいなくなるのだ。
死刑制度は存続を望むが、執行は熟考が必要だ。死刑より終身刑を!と言うのが私の意見だ。
久しぶりに魂の叫び、さー寝よ。
----寝ようとして布団の中で考えてたこと追記-------
もし俺の身内が凶悪犯罪に巻き込まれ、犯人を好きにしていいよと言われたら、決して簡単に殺すようなことはしない。死ねば楽になるからだ。死なな い程度に毎日毎日苦しみを与えてやる。毎日1箇所ずつ骨折させる。毎日1cmずつ体を小さくする。自分のしたことを後悔し、生きていくことのほうが地獄で あると感じさせ続けてやる。死刑など1瞬の苦しみであり、思考停止さえすれば楽なものである。生きていれば地獄が見れる。
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右上にテレビその横にソファ、あとはキッチンや、食卓が並ぶレイアウトが今でも一般的だ。ここに壁掛けテレビをつけるとどうなるかというと、例えば、ドアや窓があってつけられるところは限られる。図では右上の隅の壁がよさそうだが、ソファーから見えるがキッチンから見づらい。またその逆のパターンではソファーから見づらいなどもある。昔からある隅っこに斜め置きというのは結構合理的である事が分かる。


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