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2009年9月26日 (土)

ベンハー 456

今日BSでやっていたから見ていた。と言っても、見出したのがかなり後半で、ちょうど山場の騎馬戦車戦が終わってメッサーラが傷だらけのところからである。ベンハーはDVDもあるから最初からでも見れるのだが、やっぱり途中からでも面白い。戦車戦までのストーリーはベンハーの復讐の日々、死の寸前から頂点まで上り詰める話で、それはそれで面白い。この場面で映画が終わると言うのも有りかもしれない。
 しかし、この映画はスペクタクルをフリカケにした宗教映画である。ベンハーの生涯を通してキリストを表現しているのだと思う。頂点に上り詰めたベンハーを再度メッサーラが地獄に追いやる。さっきまでは肉体的な地獄だったが、こんどは精神的な地獄である。最後に助けるのは自分の気づき。キリストが自分の肉体をささげて、全人類の罪をかぶる。「神よ、彼らを許したまえ、彼らは何も知らないのです」この言葉がこの映画のメッセージなのかなぁと思う。

微生物から始まった生物の歴史。そこに突然現れ、この世を変えるぐらい影響力を持つようになった人類。キリスト没後2000年たった、この今現在。2000年たってもまだ、約束の地も時も来ていないのだ。東洋・西洋を問わず、どの世界にも神様はいる。その神様が、他の神を信じるものは邪心だと排斥する。そんなばかげたことが未だにまかり通る世の中である。
日本の政治も政権交代を果たしたことだから、宗教も政権交代の時代なのかもしれない。原始宗教から逸脱しまくっている現代宗教はまるで自民党と官僚支配の構造と同じではないかと感じられる。人のために始まった宗教が、宗教団体のものになり、国民のために存在する国家が、一部の人間のためにある。まったく同じ構造である。何事も原点回帰の時代なのかなぁと書きながら思ったりする。

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2009年9月25日 (金)

ああ、残念!食べ放題が  455

オイラのお気に入りの蕎麦屋(三島市)が、とうとうその選択肢から外れてしまった。
残念なことである。

味が落ちたとかと言うのではなく、値上げであった。

1000円→1200円
限定なし→平日5名まで

もう既に1000円札だけでは食べられなくなったとしたら、もう、ランチ選択肢からは脱落である。ふらっと寄って、食い尽くす喜びから遠ざかってしまったのだ。メニューを見ると、平日5名から洩れた方でどうしてもと言う人には1500円で5皿まで。あと完全フリーは2750円と来たもんだ。そうでもしないと元が取れないのだろうから恨むべくも無いが、ちょっと悲しい気分である。

食べ放題と言っても、おいらには4皿が限界だった。5皿なら多分、1時間以上をそこで費やさないと食べられない。4皿でがんばればもうちょっと食べられるが、この辺でやめといたほうがいいと体が判断できる量だ。3皿でもそれほど不満感は無い。2皿だと普通かなと言う感じだ。

食べ放題なんて書くと、無理して食べる輩もいるから、300円/皿ぐらいでやればいいんじゃないかなとも思う。

と言うことで「ザル蕎麦3.5」、1000円で復活してくれないかなぁ

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首相 国連で「25%削減」を表明 454

リンク: 首相 国連で「25%削減」を表明.

Nevadaからコピペ
反対する企業は世界から追放されるだけであり、今回の25%削減に対して「荒唐無稽」と述べた神戸商工会議所水越浩士会長(元神戸製鋼会長)は世界から追放される企業経営者になるかも知れません。

もっとも以前のブログでも記載しましたが、地球は寒冷化に向かっているというのが正しい学説とも言われており、今の温暖化騒動はたぶんに政治的・経済的背景がありますが、いまさらそれを国際的に指摘しましても敵を作るだけであり、ここは世界の趨勢にしたがって粛々と温暖化防止のための長期目標を立てて前に進むのが正しい道になります。
今、日本の25%削減に反対を唱えている企業・財界人は今後ヨーロッパの環境団体や政府から袋叩きにあうリスクを抱えたことになります。



まあ、そうゆうことですな。自分の生活を振り返ってみて、1990年と言えば約20年前、当時と比べればだいぶ贅沢になった。当時の生活を今の家電で再現するだけでも、多分電気代などでも10%削減ぐらいはそれ程難しくないだろうとも思う。今時省エネ型でない家電商品の方が少ないのだ。ただ、それを使う人間が贅沢になったから無駄なエネルギーを垂れ流しているかなとも思う。
今の不景気は25%削減を経済的手法で実現しようとしているとも取れる。景気がよければ、やれ旅行だ。やれバカンスだ。と休日も忙しい。しかし、景気も悪いし金も無いから、週末は、庭弄りとか、洗車とか、趣味にしても釣りや自転車など省エネ(省マネ)型の生活を選択しているわけだ。イケイケどんどんの時代から考えればかなり慎ましい生活を送っていると感じているのだが、25%削減ってそんな難しいことなのかな?と思う。

ガソリン代がリッター200円になれば、否が応でも達成できそうな気がするが・・・

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2009年9月24日 (木)

セクシーファミレス&ビキニカフェ 453

やっぱり、アメリカにはこんなものもあるのだ。セクシーファミレス。そしてビキニカフェ 。ファミレスは家族ではいけないし、ビキニカフェはなんか禁断のイメージが少ないからちょっと物足りない気がしてならないが、男心をくすぐる商売である。
こういうところに行く場合は、女連れはまず無く、男同士か一人単独行動だろうから、ファミレスは難しい。ランチ程度ぐらいなら行けるかな?どちらか選ぶとすればやはり敷居の低いカフェだろう。ちょっとコーヒーを飲むぐらいなら、楽しいほうがいいもんね。

しかし、以前俺の書いたセクシーガソリンスタンドのほうがいいと思うのだが、だめなのかなぁ。

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2009年9月22日 (火)

galabuzz.jp って? 452

ブログパーツの中にジオターゲッティングを入れている。このジオには現れていないが、我がサイトは今、アクセスが飛躍的に伸びている。この3日ジオTでは49・53・52アクセスだが、ココログのアクセス解析だと、126・310・77・今日→189アクセスである。なんだろうなとアクセス元を見るとgalabuzz.jp と言うところのロボット検索がいっぱい入っている。ジオは同一ホストは1件とみなすのだろうか?

多分、エ■ナの件を調べているのだろうと思われる。風評被害を防ぐため、名前がのっているブログをチェックしているのだろう。まるでオイラのブログに興信所から手入れがあったような気分である。まあ、最近は風評による被害が後を絶たないからこんなこともしなくてはいけないのだろうけど、たいそうなことである。

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2009年9月21日 (月)

おくりびと を見た 451

映画が好きだから、今日のおくりびとは見逃さない。感想はいい映画なのだろうが、とってもいい気分では見られなかったと言うことだった。映画をけなしているのではない。放送のシステムが俺をイライラさせたのだ。この映画の中の音声はかなり小さい。ボリュームをかなり大きくしないと聞き取れない。通常我が家のTVのボリュームは昼間で30、夜で26~8ぐらいで聞いているが、今日の映画は34ぐらいまで上げても、なんとなく分かるぐらいの音量である。しかし、最近はドルビープロロジックなんてついているから迫力の住低音はちゃんと出る。楽器演奏シーンではかなりボリュームを下げ、会話部分では上げ、CMになったら大きく下げ、CMあければ大きく上げの繰り返しである。落ち着いて見ることができなかったのだ。
ただで見させていただいているのだからあまり文句は言える立場ではないのだが、TBSに対するイメージが下がったことだけは確かである。

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波もスゴーイ 450

世の中には電波が溢れている。最近の問題では電磁波なんてのも良く言われる。電波は見えないからどうなっているのか想像するしかないのだが、今この瞬間にも、この目の前で波がにょろにょろしているわけだ。そしてそれを取り出すことができるなんてすごいことだと思う。
電波を見ることはできないが、ラジオはそれを抜き出して、音波に変換する機械である。

俺はニッポン放送を良く聞くが、1242khz周辺の周波数では、ニッポン放送の音声情報がゆらゆら漂っており、他の周波数でも、距離関係もあり弱くはなっているが、同じように音声情報が漂っていると言うことになる。ラジオ放送で言えば、100人ぐらいの人間が声の高さを変えてそれぞれしゃべりあっている状態だ。そこにこの高さの近辺の音だけ切り出せるというのがラジオだと理解している。つまりは今ここ目の前、後ろに電波というメディアを通じて、様々な情報・会話が空中を舞っているわけだ。その中にはノイズ的なもの(電子レンジや家電など)もいっぱいあるだろう。携帯電話も電波だし、無線ルーターも暗号化された電波だ、ラジオだけでなくテレビも電波だし、つまりは目の前は見えはしないけど電波の波が際限なく続いているわけだ。

波と言うと、海の波をイメージするがどんな状態なのかなぁと思う。縦波・横波、色々あれど波の形は、波形で表される。視覚化できたとしたら、それは光に近いものなはずである。
緑や赤・青など色の違いは周波数の違い。1242khzの音は赤っポイとかあって、その赤の中で変動があり、そこだけ取り出すと色とは関係なく音声情報が隠れているわけだ。
いろんな情報が目の前にやってきているとすれば、赤や、青やいろんな色が交じり合う。光の三原色が交じり合うと白になると言うが、いろんな光(情報が)やってくると目の前が真っ白になっているのだろか?白という情報の中にも、様々な情報が混じっているのかもしれない。この世は情報洪水?

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E=MC^2に触発 449

その記事を書いていて、折り紙のことも気になっていた。折り紙とはあの折り紙で、鶴や箱やら色々な形にはなるが、元をただせばタダの平面的な正方形である。完成品の鶴を見れば、日本人ならずとも老若男女、鶴といかなくても鳥だろうと言うことになる。篭を折っていれば、それは鶴や鳥ではなく、四角とか箱とかだろうと言う回答になる。しかしまた、元にもどして行くと紙でしかないわけだ。この折り紙の紙を科学的な元素に置き換えると、まったく同じ組成なのに、まったく違う形に見えてくるものがいっぱいあるだろう。

科学の元素記号でHとかOとかCとか色々あるが、これが紙であり、その組み合わせの複雑さもあるが、同じ組成でもちょっとした折り方の違いがまったく違うものになったりもするわけだ。人間の肌の色の違いなんて、単なる紙の裏表ぐらいの違いしかなく、裏も表も単なる主観の違いでしかない。中国人・韓国人・アメリカ人・日本人の違いも原材料の違いでしかないのかもしれない。

目の前のパソコンと俺自身も元をたどって行くと似たような元素からできていて、そして大元をたどって行くとE=MC^2に戻っていって単なるエネルギーの集合体だったって事なのだろうと思う。動物も植物もそしてこの地球も太陽も、ミクロの世界からマクロの世界まで、グーグルアースの世界に入って行くように0~∞までの間に似たような世界が存在するのだろうか?どれもこれも何かの組み合わせと折り方の違いがあっても、なーんだいっしょジャン、ってことになるのかと考えると楽しいものであるし、神様目線で世の中を捉えることもできる。

E=MC^2の式も、エネルギーと言う素材をC^2という折り方で織り成すとMができると解釈もできるのではないかと思う。M=E/C^2なのだ。光と言う糸なのか波なのか良く分からんもので折り込むと、エネルギーを「螺旋丸」状にすると物質が作られるわけだ。神様スゴーイ!

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E=MC^2 448

唐突だが、エネルギー(E)は質量(M)×光速(C)の2乗であるとの、この式は美しく、尚且つこの世を意味する大事な暗示だと思う。
昨日チラッとみた記事に色即是空、空即是色を薔薇に称えていたのに触発されたのだ。薔薇(色)は美しいが棘(空)がある。棘がなければ薔薇ではない。薔薇のようで薔薇でない、ベンベン!ではないがいい表現だと思う(なのに茶化してしまった)

E=MC^ これはエネルギーと質量は変換できると言うことである。俺の体にはエネルギーも質量もあるのだが、光はない。質量があるわけだから、それが何がしかの方法でエネルギーとして放出できればC^2だからトンでもないことになる訳だ。それこそカメハメ波どころではなく波動砲以上のエネルギーを内蔵していることになる。それも人類皆そうだが、この世の全てで言えるわけである。
逆もまた然りで、エネルギーが集まれば物質を造れると言うことではないか?形はどうあれ膨大なエネルギーが物質を形作っていると言うことでもある。

話は飛んで、宇宙の創世記、科学的にはビッグバン、宗教的には「まず光有れ!」から始まる混沌とした世界。光とはこの世を作る秩序であったとも言える。上の式ではC^2は単位的な扱いを受けているが、やはりここは「光速=光の存在」として取り扱われるべきである。神様なのか知らないがSomthing Greatが混沌とした宇宙に光と言う秩序を与え、そこにエネルギーと物質をまぜこぜあわせにして投げ込んだのがビックバンなのだと思う。神様も何ができるかワクワクしていただろう。オシベとメシベのまぜこぜあわせ、ラリロン、チララリロン、チリチリラリロン、チララリロン!いかづち丸の心境だったと思う。
E=MC^2とは、ニワトリが先か卵が先か?にも通ずると言うことであろう。

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2009年9月20日 (日)

住宅着工 75万戸 447

今日仕事で工務店の社長さんと話している時に出てきた予想着工数だ。現実的にはそんなもんだろうと思う。しばらく前は100万戸割れすると大変なんて事言っていたが、どんどん悪くなる。当然と言えば当然である。悪い条件を数え上げればきりがないが、ローンで家を建てると言うことが、投機的な意味を持たず、リスクのみ増えて行くと言う構図が出来上がっているのだから、金に余裕のある人しか家は建てられない。建てたくても銀行がお金を貸さないわけだ。

俺が会社に入社してしばらくは、家を建てれば、いずれは上がるから後で売れば、また新築が建てられる。そんな時代があった。家は資産なのだということだった。「金持ち父さん、貧乏父さん」を読んで家は資産ではないと知って、ますます建てる気はなくなった。そして今、家はリスクである。ローンが払えなくなればそれまでである。今頃泣く泣く家を売りに出す人も多いだろう。ただ、売れればまだラッキーなのかと思う。来年は競売物件がゴロンゴロンしているのだろうか。
そういう時代で75万戸でも多いなぁと思う。日本の実力的には50万戸ぐらいではないの?と言う感じだ(大雑把だが)そしてそれは他人事ではなく、オイラの会社にも影響が多大である。
金額が減って棟数も減ればダブルパンチ、とっても大変である。このブログも1年を待たずに消滅するかもしれない。

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