安政の大獄から150年 平成の大獄? 497
安政の大獄150年、井伊家当主が水戸墓参とのことだ。特段変わった事はないけれど、どうも平成の雲行きが怪しい感じがする。一つ前に書いた裁判員制度もそうだが、警察も、政治かも、官僚も皆自分のことが大事で好き勝手やっているような気がする。児童ポルノも決まっちゃいそうだ。国民による国民のための政治ではない。皆好き勝手なことをやっているから方向性がない。
どんどん冤罪が作りやすくなり、どんどん厳罰化してきて、まともに生きていくのも難しくなる。
方向性を統一しようとすれば、強権政治しかなくなって、民主党の思う政治となって行く。今から戦争をするぞという気合はないだろうけど、言うことを聞かない国民に対してはこれからは厳しくなるだろう。
政治も経済も上手く回っているうちは、成長しているから多少のわがままも有り得る。税金を多めに取られても、それ以上に収入が増えれば国民もそれ程文句も言わない。税収が足りなくとも、借金して回っているうちは何とかなる。そのどちらも止まった時には手の打ちようがなくなり強権政治へと移行するしかない。
安政と言う時代は平成と名前のイメージが似通っている。安政と言う時代をググッて見ると、
安政元年11月4日(1854年12月23日)、駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖一帯を震源とするM8.4という巨大地震が発生した。
この地震が発生した年は嘉永7年で、当時の瓦版や記録はすべて嘉永としているが、この地震の32時間後にはM8.4と推定される安政安政南海地震が連続して発生し、さらに広範囲に被害をもたらせたため、この両地震から元号を嘉永から安政に改めた。年表上は安政となるため後に安政東海地震と呼ばれるようになった。(東海地震・警戒宣言)
地震を機に安政になったとのことだ。そしてその6年後に大獄となり、安政の歴史は閉じる。現代では大地震は起きていないが、地震級の経済被害は発生している。時代の閉塞感は同じなのかもしれない。
| 固定リンク
|
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 蛍の光が聞こえる 760(2012.05.23)
- 政府事故調査委員 国・東電 甘い津波対策 752(2011.12.28)
- 放射性物質は東電の所有物ではない 749(2011.11.27)
- かおうデモ、かわないデモ 741(2011.09.17)
- 武田教授が「東北の農作物は健康壊す」発言 740(2011.09.10)


コメント